今、話したい楽曲がある ー 櫻坂46『最終の地下鉄に乗って』

執筆:a(仮)

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「切り取られる時代」に、一曲を最後まで聴く意味

今はサビの数十秒やキャッチーなフレーズが切り取られ、多くの人に届く時代だ。
もちろん、それも音楽の新しい楽しみ方の一つだと思う。短い時間で心を掴み、何度も繰り返し聴きたくなる楽曲には、この時代ならではの魅力がある。

しかし、櫻坂46の「最終の地下鉄に乗って」は、その対極にある一曲ではないだろうか

何度もリピートしたくなるというより、人生のどこかで立ち止まった時、ふと再生したくなる。
一曲を最初から最後まで聴き終えて初めて届く感情がある。主人公の心の揺れや景色を最後まで追いかけることで、この曲が伝えようとしているものが少しずつ見えてくる。
だから、この曲には立ち止まる時間が必要なのだと思う。

オタクは、あえて時間をかける

効率や即時性が求められる今では、一曲に四、五分かけて耳を傾けることさえ贅沢になりつつある。
それでも、その数分だけスマートフォンを置き、歌詞と向き合う時間には、数字では測れない価値があると私は考える。

タイムパフォーマンスが重視される時代に、オタクはあえて時間をかける。

同じMVを何度も見返し、同じライブ映像を繰り返し観て、歌詞を読み返す。そのたびに違う感情を受け取り、その積み重ねが楽曲への愛着だけでなく、自分自身の人生とも結びついていく。
推し活は、ただ楽曲を消費することではない。その時の自分を楽曲に重ね、人生の記憶として残していく体験でもある。

人生には、誰にでも分岐点が訪れる。
進学、就職、転職、別れ、新しい出会い。
形は違っても、この先どう生きていけばいいのだろうと立ち止まる瞬間は、きっと誰にでもある。
だから、この楽曲は多くの人の人生に寄り添う。
答えを与えてくれるわけではない。
それでも、暗いトンネルの中にいる主人公の姿を通して、自分だけではないと思わせてくれる。そして、ほんの少しだけ前を向くきっかけを与えてくれる。

最終の地下鉄に乗って、初めて見えた景色

私は秋田に住んでいる。
普段地下鉄なんてものは存在しないため、乗ることもない。
だからこの曲を聴くのは、深夜に車を走らせている時間が多かった。
静かな夜道を走りながら聴くだけでも、十分に好きな曲だった。
けれど、この曲の主人公が見ている景色をもっと知りたくなった。

東京へ行ったある日、最終の地下鉄に乗り、この曲を再生した。
車窓の向こうに続く暗いトンネル。
駅に流れるアナウンス。
少し冷たい空気。
疲れた表情で座る人たち。
そこには、自分が想像していた以上に歌詞の世界が広がっていた。

「最終の地下鉄に乗って」というタイトルは、東京でしか味わえない情景を描いたものではない。
主人公が見ていた景色や音、空気を実際に体験したことで、歌詞の解像度は驚くほど高くなった。
そして気づいた。
社会人になったばかりの頃の自分は、この主人公そのものだったのかもしれないと。
仕事を覚えることに必死で、毎日をこなすだけ。
未来を考える余裕もなく、ただ明日が来ることだけを繰り返していた。
今、その頃を思い返すと、自分も少しは大人になったのだと感じる。
でも同時に思う。
主人公の少し先を歩いている今の自分も、結局はまだ地下鉄に乗っているのだと。

地下鉄の終点の先にあるもの

人生は、一度乗った地下鉄が終点ではない。
歌詞の中で描かれる地下鉄は、人生そのもののようにも感じられる。
その行き先が幸福なのか、不幸なのか。
それは誰にも分からない。
これから先も、理不尽なことや苦しい出来事はきっとある。
それでも今の自分は知っている。
世界は思っているより広く、選択肢は思っているより多い。
だから、今乗っている地下鉄だけが人生ではない。
違う時間帯の地下鉄に乗ることもできる。
違う景色を見に行くこともできる。

この曲は、聴く人の今の状況によって、まったく違う表情を見せる。
社会人一年目に聴くのか。
何年も働いた今、聴くのか。
夢を追っている途中なのか。
何かを諦めかけている時なのか。
その時々で、歌詞の意味も、自分に届く言葉も変わっていく。

忙しく過ぎていく毎日の中で、ほんの数分だけ足を止め、この曲に耳を傾けてみてほしい。
推し活は、現実から目を背けるための時間ではない。
もう一度、現実を歩き出すために、自分の心を整える時間なのだと思う。
一曲を最後まで聴くという、一見すると非効率に思える時間にも意味がある。
その数分が、明日を少しだけ前向きに生きる力になることがある。

もしかすると、その地下鉄の終点には、今の自分にはまだ見えていない景色が待っているのかもしれない。

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執筆:a(仮)