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「東京って実在するの?」芸能界と無縁だった少女時代

<エンタメ解体新書>

まずは改めて、自己紹介をお願いします!

<菅本裕子さん>

菅本裕子です!
福岡県北九州市出身で、元々はアイドルグループのHKT48に所属していました。活動期間を改めて調べてみたら、実は8ヶ月くらいしかなくて。自分でも「元HKT」と名乗るのが少しおこがましいくらい短い期間だったんですが……(笑)

その後は、YouTubeやSHOWROOM、Instagramなどで発信を始めました。
当時はまだ「インフルエンサー」という言葉すらなかった時代ですが、手探りで道を切り拓いてきた世代なのかな、という自負は少しだけありますね。
7年前にはライバーマネジメント事務所の「株式会社321」を立ち上げました。今では所属ライバーも1万5000人を突破しています!
現在は、インフルエンサー、そして会社を経営しながら、一人の「ママ」としても奮闘中です!

<エンタメ解体新書>

多角的なキャリアを歩まれていますよね!幼少期はどのようなお子さんでしたか?

<菅本裕子さん>

ずっと北九州っ子でした。博多の方にもあまり行ったことがないくらい、地元に根付いた生活でしたね。

<エンタメ解体新書>

当時からアイドルになりたかったのですか?

<菅本裕子さん>

いやいや、全く!当時は「東京って実在するの?」と思うほど、芸能界はかけ離れた世界でした。
AKB48さんの握手会に行くほど好きでしたが、自分が目指すとは1ミリも思っていませんでした。

<エンタメ解体新書>

意外ですね。中学・高校時代は何かに熱中を?

<菅本裕子さん>

吹奏楽部でパーカッションを担当しました。ドラムの先輩に一目惚れしたのが入部の理由で。
でも、その先輩が引退したタイミングで、私もスパッと辞めちゃいました!(笑)

<エンタメ解体新書>

分かりやすすぎますね(笑)

<菅本裕子さん>

「おいおい、話が違うじゃないか」と(笑)
片道2時間かけて通っていたのも先輩がいたから。モチベーションが消えた瞬間に、「もう行く意味ない!」ってなっちゃって。


自称「ぶりっ子」!?アイドルファンからアイドルへ

<エンタメ解体新書>

まさに集中力と努力の賜物ですね。
ドラムのエピソードもそうですが、一言で言うと当時はどんなお子さんだったんでしょうか。

<菅本裕子さん>

一言で言えば……「ぶりっ子」じゃないですかね?(笑)
親からもずっと「可愛い、可愛い」と全肯定で育てられてきたので、当時は自分のことを本気で可愛いと思っているタイプでした。
もちろん、東京に出てきたり、HKT48のオーディションを受けたりして「世の中にはこんなに可愛い子がいるんだ!」と衝撃を受けることになるんですけど。当時は自信満々なぶりっ子でした。

<エンタメ解体新書>

でも、その「自己肯定感」こそが今のゆうこすさんの強さの源泉な気がします。
アイドルになられる前、純粋なファンとしてイベントや握手会に足を運んでいた時期もあったそうですね。

<菅本裕子さん>

めちゃくちゃ行ってましたよ!
AKB48の前田敦子さん推しでした。アメーバピグでピグ友を作って語り合ったり……派生ユニットの「MINT」とか最高じゃないですか?『君について』とか、もう激アツですよね!

<エンタメ解体新書>

アイドルを目指してダンススクールに通うようなこともなく、全くの未経験だったんですね。

<菅本裕子さん>

全く経験がありませんでした!


模試9点からの大逆転!ゆうこすの根底にある「負けず嫌い」の精神

<エンタメ解体新書>

そんな中で、高校生(高2)の時にオーディションを受けた。なぜ突然そんな行動に出たのか、そのあたりの経緯を改めて伺えますか?

<菅本裕子さん>

そもそもなんですが、意外と偏差値も高めの学校を受験しまして(笑)
私、高校受験が本当にギリギリだったんです。受験の1ヶ月前の模試で、5教科合計で「9点」しかなかったんですよ。

<エンタメ解体新書>

え!?それは……なかなかの絶望的状況ですね(笑)。

<菅本裕子さん>

その模試が、1教科50点満点だとしても、ですよ。
当時は結構ギャルっぽくて、勉強も全くしていなかったので。滑り止めの私立すら受からないと言われて「やべえ」と。
でも昔から、自分の中で「これが一番効率的な最短ルートだ」と戦略を立てるのが好きだったんです。1日で勉強のスキームを固めて、それをやりきって合格しました。まさに“ビリギャル”状態ですね。

<エンタメ解体新書>

リアル『ビリギャル』じゃないですか!

<菅本裕子さん>

以前、著者の坪田先生と対談させていただいた時に「まさに同じやり方をしてる」とお墨付きをいただきました(笑)。
みんな暗記のためにノートに書きまくりますけど、私は記憶って「引き出し」から出す作業だと思っていたんです。だから、教科書をパッと見たらすぐ閉じて、脳内からその情報を引き出せるか、それを人に説明できるか……という作業を繰り返していました。
壁に向かって一人で喋り続けたり、母に「理科の話を聞いてくれ」と迫ったり。

<エンタメ解体新書>

お母様も驚かれたでしょうね。

<菅本裕子さん>

「気が狂った」と思われていたはずです(笑)
1週間に2回しかお風呂に入らない時があったり、食事もカロリーメイトで済ませて没頭したりしていましたね。

<エンタメ解体新書>

そこまでしてその高校に行きたかった理由は……?

<菅本裕子さん>

好きな男の子がそこにいたからです(笑)

<エンタメ解体新書>

強い!先ほどの吹奏楽部の先輩とはまた別の?

<菅本裕子さん>

またすぐに別の人を好きになっちゃって(笑)
「そっちに行くしかない!」っていうエネルギーだけで合格しました。私、漫画の主人公みたいになりたい欲があって、できないことを乗り越えるのがかっこいいと思っちゃうんです。


動機は「宿題回避」!?保健委員アピールでHKT48へ

<エンタメ解体新書>

その「負けず嫌い」なマインドが、HKT48のオーディションにも繋がっていくわけですね。

<菅本裕子さん>

高校に入ったら入ったで、みんなと同じ勉強法を押し付けられるのが苦痛になっちゃって。「なんで同じ単語を何回も書かなきゃいけないの?」と。
そんな時にHKTの募集を見つけて、「夏休み中に受かれば宿題やらなくて済むじゃん!」って(笑)
憧れのあっちゃんに会えるかも、という期待もありましたが、最大の動機は「宿題回避」でした。

<エンタメ解体新書>

動機がユニークすぎます(笑)オーディション本番では、どんなアピールをしたんですか?

<菅本裕子さん>

前のグループの子たちがみんな「歌」や「ダンス」と、王道なアピールをしていました。「これは爪痕を残さないとマズい」と思って。でも歌もダンスも自信がない。
そこで自分の番が来た時、「保健委員なので、体調管理が上手いです!」と言い切ったんです。
審査員席に「ヨシ、ハマった!」という手応えがあって。キャラで戦いました(笑)

<エンタメ解体新書>

それが秋元康先生たちにも面白がられたんでしょうね。
初舞台は西武ドームという巨大な空間でした。

<菅本裕子さん>

もう、わけがわからなかったです。お客さんが多すぎて逆に見えないというか。「あ、なんか人が動いてる」くらいのふわふわした感覚で、ほとんど覚えていません。
それまでの数ヶ月のレッスンも大変でした。運動神経がないのにいきなり「プランク(体幹トレーニング)」から始まって、「アイドルってこんなにキツいの、、?」と、衝撃でした。

<エンタメ解体新書>

HKT48での活動期間は1年弱。当時はまさにこれからという時期でしたよね。

<菅本裕子さん>

そうですね。先輩方のおかげでいきなりテレビや雑誌に出させていただいて、本当にありがたい環境でした。


前編はここまで!

「東京って実在するの?」という等身大の少女から、戦略的なアピールでアイドルへと駆け上がった菅本さん。
次回の中編では、グループを離れた後の反論動画から、現在のきっかけとなるミスiDオーディション、そして「モテクリエイター」誕生の裏側に迫ります!