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インタビュー中編

特に、アイドルファンから絶大な支持を獲得している大人気の作詞作曲家、そして株式会社HOVERBOARD代表、Akira Sunsetさんへの単独インタビュー(前/中/後編の三部)
中編では、薄れた音楽への情熱を取り戻したきっかけ、デビュー前のラップシーンでの活動アーティストデビューから作曲家になるまで、あのヒット曲のアレンジの秘密HOVERBOARD設立までの経緯、について語っていただきました!


【前編はこちら】

https://note.com/kaitai_shinsho/n/nd58e785a8c35



薄れた音楽への情熱を取り戻した、あのアーティストの登場

<エンタメ解体新書>

学生時代に音楽に向き合う日々を過ごされながら、フードデリバリーのアルバイトで事務所所属のチャンスを自ら手放してしまうわけですが、そこからまた音楽の道を歩み始めるのはすぐのことだったのでしょうか?

<Akira Sunsetさん>

いや、期間は空きますね。
高校時代に3曲を作って、少し燃え尽きたというか、「もう曲は作りたくないな…」と思って。
当時、トレンディ俳優と呼ばれる方々がドラマでブレイクをしたらCDも出す、というようなムーブメントがあったんです。
しかも、レゲエやサックスを取り入れた、かなりオシャレなものでした。だから「これは俳優になるしかないな」と。

<エンタメ解体新書>

俳優ですか!?

<Akira Sunsetさん>

そうなんですよ、実は。
あと、美術系の専門学校にも通っていました。音楽はもういいかなと思って。でも、周りはみんな美術を極めたい人たちの集まりで、全然友達もできなくてだんだん行かなくなってしまいましたね。

<エンタメ解体新書>

そこから、改めて音楽に向き合い、作曲家人生を歩み出すには相当のきっかけが必要だったと思うのですが?

<Akira Sunsetさん>

きっかけがいくつかありました。
中でも、CHEMISTRY(日本の男性ボーカルデュオ)さんの存在ですね。CHEMISTRYのおふたりって僕と同い年で。オーディション番組からデビューして、アルバムセールスもトリプルミリオンを超えて、それがすごく悔しくて。
そこからオーディションをめちゃくちゃ受け始めました。でも、やっぱりこの時点では「音楽を作りたい」という気持ちはなかったですね。

<エンタメ解体新書>

まだ音楽を作ろうという気持ちが芽吹くわけではなかったと。
俳優を目指し続けるという選択肢はなかったのでしょうか?

<Akira Sunsetさん>

俳優でも、音楽に向き合うことが必要になってきたというか……
オーディションはずっと受けていて、よく「特技を見せてください」って言われるんですよね。だけど、見せなかったんです、ずっと。なぜなら「俺はルックスだけでいける」と思っていたから(笑)
でも、それだと、なかなか受からないんですよ。だから、仕方なく特技としてギター弾き語りで歌うことが多くなりました。
そうすると合格することが増えて、「ああ、僕はやっぱり音楽をやるしかないのかな」と思い始めるようになりました。


ついに、歩み出す音楽への道…も、ジャンルはヒップホップ!?

<エンタメ解体新書>

ここで、音楽の道に進むことを決心されるのですね。

<Akira Sunsetさん>

中学生ぐらいから、薄々は気がついていたんですよ。
作曲をしたくないから、ずっと避けて、避けて、避けて…進んできたけど、「やっぱり僕の歩む道はここなのか」と決心せざるを得なかったという感じですね。
そのころに、パソコンも買ったんですよ。今でいう、DTM(※)を使いたくて。まずは、やってみようかなと。なので機材一式を揃えたんです。
親にお金を借りて、80万円。

(※)DTM:デスクトップミュージック。パソコンやタブレットを活用して、自宅で作曲、編曲、録音、ミックス、マスタリングまでの音楽制作全般を行う手法のこと。

<エンタメ解体新書>

80万円ですか!?

<Akira Sunsetさん>

「一番いいやつを買わないと意味がないんだ!」とか、もうそれはそれはワガママを言って(笑)
当時の、最新型ハイスペックのパソコンや音楽機材を買ってもらいました。
でも、今の若い人たちには理解できないかもしれませんが、その当時の機材って今みたいにケーブルを挿せば音が鳴るというわけではなくて。
変換パーツみたいなものを組み合わせてセットアップしないと鳴らないんですよ。
だから「なんだこれ?」ってなって、すぐやめちゃって(笑)

<エンタメ解体新書>

セッティングで挫折してしまったというお話でしたが、そこからどのようにして再び音楽の道、そしてデビューへと繋がっていくのでしょうか?

<Akira Sunsetさん>

ちょうどその頃、インターネットが普及し始めて"バンド掲示板"みたいなものが流行っていて。そこでメンバーを募集しているグループを見つけて加入したのが、ハタチぐらいの時ですね。
時代もあって、だんだんとすごい悪い方向に行っちゃって…(笑)

<エンタメ解体新書>

悪い方向、と言いますと(笑)

<Akira Sunsetさん>

「イカつくラップする以外は、かっこよくない!」みたいな風潮に染まっていったんです。
当時、Dragon Ashさんにものすごく衝撃を受けまして。
降谷建志さんも僕と同い年なんですが、「こんなかっこいい音楽を、自分で作ってやっているの!?」と驚きました。
MVでマスタングに乗っている姿を見て「くぅー、かっこいい!」って憧れましたね。
それに加えて、ZEEBRAさんがセカンドアルバムをリリースされた時期で、一気に不良文化をヒップホップに取り入れたんですね。そこから日本の不良たちがヒップホップを聴くようになって。

<エンタメ解体新書>

なるほど、尾崎豊さんやビートルズを通ってきたAkira Sunsetさんが、そこでヒップホップに行き着いたのは驚きです。

<Akira Sunsetさん>

「リアルかフェイクか」が厳しく問われる時代でした。
「少しでも歌メロを歌ったらフェイクだ」「イカつくないといけない」という、ある種の洗脳みたいな時期でもありましたね。
だから僕も、ガリガリだったのに3XLサイズのダボダボの服を着て、髪も編み込みにして、クラブでオープンマイクがあったら握ってラップして。
そうやっていないと「リアル」じゃないと無理してましたね。


アーティストデビューのきっかけ、作曲家としてのスタート

<エンタメ解体新書>

形から「リアル」を追求されていたわけですね。
そこから、どのようにメジャーデビューへ繋がるのでしょうか?

<Akira Sunsetさん>

ケツメイシさんのプロデューサーであるYANAGIMANさんとの出会いが大きかったです。
バンド時代に色々教えていただいたりしていました。
その後グループ自体は形にならずに解散してしまったんですが、「どうしようかな」と思っていた時に、YANAGIMANさんから「ソニーからデビューするグループがいるんだけど、歌ってラップできる人を探している」と紹介していただいて。

<エンタメ解体新書>

なんと!
このヒップホップでの活動がきっかけで、ソニーさんとの縁が生まれるのですね!

<Akira Sunsetさん>

その頃には、もう「イカつい」シーンにはやりきった感もあって疲れていたし、「俺、そんなにイカつくないしな」と冷静になっていたので(笑)
当時、ORANGE RANGEさんが売れていたり、ケツメイシさんブームでフォロワー的なグループがたくさんデビューしていた時期でした。
なので、昔やっていた弾き語り的なメロディーとラップを足したポップなスタイルに切り替えて、活動を始めることになりました。

<エンタメ解体新書>

ようやくデビューですね!順風満帆なスタートを切れましたか?

<Akira Sunsetさん>

それが、グループに途中加入するんですけど、メンバーと全然合わなくて(笑)
僕は「これからデビューだ!」と焦っているのに、他のメンバーは締め切りの前日なのに彼女とドン・キホーテに行っちゃって帰ってこなかったり、急に「もっと格好つけた音楽がやりたい」と言い出したり。
メジャーデビューして全国回ったり、CMタイアップ曲をやらせて頂いたりしたんですが、結局1年半くらいで解散が決まってしまいました。

<エンタメ解体新書>

せっかくのチャンスなのに……波乱万丈ですね。

<Akira Sunsetさん>

でも、ソニーのディレクターさんが「お前は曲がいいから、自分のグループをもう一回やっていいよ」と言ってくれたんです。
そこで、アコギにヒップホップを混ぜた「夕日を感じる音楽」をやりたいと言ったら、「ちょっと分かりづらいから、とりあえず、ハワイに行け」と言われまして(笑)

<エンタメ解体新書>

えっ、急にハワイですか!?

<Akira Sunsetさん>

僕の叔父がハワイ出身で、ルーツもあったので。
1年の時間をもらって、ハワイの楽曲をサンプリングしてデモテープを作ったりしていたら、現地のプロデューサーも気に入ってくれて。
ハワイで活動をして、認めていただけて、日本でもデビューすることができました。

<エンタメ解体新書>

ここからが、いよいよ現在のAkira Sunsetさんのご活躍に繋がっていくのですね。

<Akira Sunsetさん>

『この恋にさよなら』という3rd Singleのスマッシュヒットや、着うた時代に何百万ダウンロードとかの功績はあったんですが、力及ばず5年くらいで「ごめんなさい、契約を切らせてもらいます」となってしまいました。
ただ、ソニーさんの担当者が「乃木坂46っていうグループがデビューするから、お前、曲書けるから書いてみろ」と紹介してくれたんです。
そのころに制作した楽曲が『狼に口笛を』と『海流の島よ』ですね。

<エンタメ解体新書>

すごいご縁ですね!そこから作曲家としての道が開けたと。

<Akira Sunsetさん>

それが、まだまだ!(笑)
乃木坂46に曲が決まって「お金が入る!」と思っていたのに、全然お金が入ってこなくて。「どうやって生きていけばいいんだ…」と絶望しました(笑)
印税って、曲が決まってから入ってくるまでに、1年以上の期間があるんですよ。そんなときに、別アーティストの作詞作曲と「編曲」をやらせてもらったんですが、編曲だと数ヶ月のラグですぐにまとまった報酬をいただけるケースが多くて、「これで食いつないでいけるじゃん!」と、少し考え方が変わりましたね。


あの大ヒット曲の生み出し方、そしてHOVERBOARD設立へ

<エンタメ解体新書>

乃木坂46さんの『そんなバカな・・・』は作曲・編曲の両方を手掛けられていますが、あのイントロはとてもキャッチーで面白いです。

<Akira Sunsetさん>

あの「パッパッパッパ…」というイントロは、声のサンプリングなんですよ?
僕はよく「自分の得意な楽器をイントロに持ってこい」と後輩たちにもアドバイスをしていますが、僕の場合はそれが「歌」だったんですよね。打ち込みでリードを作るスキルがなかったので、仮歌の声をエディットして表現しました。

<エンタメ解体新書>

そのころには、DAW(※)もかなり一般化して、音楽制作の環境も大きく変わったのではないですか?

(※)DAW:デジタル・オーディオ・ワークステーションの略。音楽制作のためのソフトウェアのこと。

<Akira Sunsetさん>

おっしゃる通りで、「大コンペ時代」に突入しました。
昔は弾き語りのデモでもよかったんですが、だんだんとデモの段階でしっかりアレンジまで組み上がっていないと、コンペが通らなくなりましたね。
そこで、「編曲が得意な人」と「メロディーが得意な人」が組む「コライト(共作)」のスタイルを取り入れるようになりました。
コンペは「手数」が勝負なので、どんなに入魂しても通らなかったら何も残らない。
だったら、得意なところを伸ばしてどんどん出していこうと。
APAZZI(※)と出会ってからは、ひとりで作ることはなくなりましたね。

(※)APAZZI:アパッチ。日本の作曲家・編曲家。Akira Sunsetさんとは、乃木坂46『今、話したい誰かがいる』『ハルジオンが咲く頃』など数多くの大ヒットコライト作品を発表したほか、音楽ユニット「THE SIGNALIGHTS(ザ・シグナライツ)」も結成。

<エンタメ解体新書>

コライトはどのように分担されているのですか?

<Akira Sunsetさん>

色々なパターンがあります。
海外だと編曲家がビートを叩いて、作曲家たちが順番にマイクを回しながらフリースタイルで歌って繋いでいく、みたいな作り方もあります。
僕らの場合、最近だと乃木坂46の『おひとりさま天国』は、完全なネットコライトでした。
丸谷マナブがデモを作り、ha-jさんと遠藤ナオキがトラックを作り……みたいな流れをみんなで回しながら組み合わせて作りましたね。僕は仮歌詞を書いて仮歌を入れ楽曲の全体の雰囲気を整えた程度です。

<エンタメ解体新書>

そうしたコライトの流れが、ご自身のクリエイター事務所「HOVERBOARD(ホバーボード)」の設立に繋がるわけですね。

<Akira Sunsetさん>

そうです。
コライト作品のリリースや、僕の紹介きっかけでお仕事を得ていただく機会も増えて。でも、同時に思うことが増えてきたんです。
「僕だったらもっといいマネジメントができるかも、ルートもある。じゃあ、僕がやっちゃおう!」と始めたのが、HOVERBOARDです。


ついに動き出した、HOVERBOARD!

後編では
・ヒット曲の舞台裏
・音楽家スクール『Dr.BROWN』にかける情熱
・AI全盛時代における作曲家の未来

などを熱く語っていただきました!

【後編はこちら】

https://note.com/kaitai_shinsho/n/na456de730c7d

【前編はこちら】

https://note.com/kaitai_shinsho/n/nd58e785a8c35